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こちらではTETSUの自己紹介をさせて頂きます。
サッカーとの関わり
初めまして。
私は、1997年12月生まれの東京都育ちです。
私の父親は野球が好きで、幼い頃から自分には野球をやって欲しかったみたいですが、野球に全く面白さを感じていなかった自分は、幼稚園の頃からサッカーを始めました。
サッカーが好きで、幼稚園、小学校と続けていて、中学生の時にはクラブチームに入ってサッカーをしていましたが、そのチームは正に日本的なサッカーチームで、走りと個人技を意識するチームでした。
毎回の練習でも、ほとんどの時間で走り込みばかりしていて、サッカーが楽しく感じなく、根性論で辛い練習ばかり行っていて、サッカーの練習に行くことも嫌になり、結局中学2年生でそのクラブチームを辞めてしまいました。
そのサッカーチームの練習内容などは、こちらの記事でご紹介しています。↓
サッカーをプレーするのは中学2年で辞めましたが、別にサッカー自体を嫌いにはなっていなかった自分は、クラブチームを辞めてできた時間で海外のサッカーを見るようになり、その中でもスペインサッカー「リーガ・エスパニョーラ」をずーーーっと見ていました。
スペインなど欧州のサッカーは日本時間の夜中に放送しているので、毎週末の夜は起きていられるだけ起きてスペインサッカーを見ていて、平日には録画をしておいた海外サッカーを見ているという、ある意味サッカー漬けの日々でした(笑)。
その頃までの自分のサッカーのイメージは、特に戦術や攻め方やチームプレーをコーチなどからも教わっていなかった事もあり、「ボールを蹴って、ゴールに入れる」というとても抽象的なスポーツだという考えでしたが、海外のサッカーを見ていると、
・チームによっての戦い方があり ・様々な状況で有利不利があり ・監督によって試合が決まる
など、今までのサッカーのイメージから異なる発見が多く、サッカーを別の視点から楽しめるようになり、サッカー選手としてではない視点からサッカーに引き込まれていました。
その頃から、スペインのセビージャという都市にある「セビージャFC」というプロチームが好きになり、セビージャの試合は毎週、ライブ配信で観戦をしていました。
日本人に人気のチームというとバルセロナやレアル・マドリードなどですが、自分はセビージャというチームが好きです。
その原点は、中学生の頃にたまたまバルセロナとセビージャの試合を見て、その時は何となくバルセロナを応援していました。
ですが試合を見ていると、白いユニフォームを着ていたセビージャというチームに、情熱さや熱さを感じ、その時に自分の心に熱く伝わるものがあったのを覚えています。
その試合を見てからは何となく毎週末に必ずセビージャの試合を見ていて、気がついていたらセビージャというチームに心がのめり込んでいた感じです。
中学校の頃には、サッカーが好きな友だちに無理やりサッカーの話をして聞かせていたので、中学3年生の時は友だちから「サッカー評論家」というあだ名で呼ばれることもありました(笑)。
サッカー指導者への憧れ
サッカーをプレーするよりも、見る事の方が好きになっていた自分は、高校生になってからもサッカー部には入らずに、海外サッカーをずっと見ていました。
ですが、「少しはボールを蹴ったり、体を動かしたりしたい!」と思っていたので、高校生の頃には週2日で活動のあった「フットサル同好会」に入り、一応週に何回かはボールを蹴っていました。
ですが、やはり1番の楽しみは、「スペインのリーガ・エスパニョーラを見ること」にあったので、週末の夜中は夜更かしをしてスペインサッカーを見る為に他の予定を全て立てて生活していました。
今考えると、
などとも思いますが、その当時の自分からしたらサッカーを見ることが1番の楽しみでしたし、ある意味サッカー馬鹿だったのかなぁと思います(笑)。
つまり、リーガ・エスパニョーラが自分にとっての青春でした。
ですが、もちろん学校に自分ほど海外のサッカーを見ている友だちもいなければ、セビージャや他の海外選手を知っている人なんていません。
なので、少し海外サッカーを知っていた友だちに無理やりサッカーの話をして聞かせていたりしていましたが、確かに聞いている側はあまり楽しそうではなかったですね(笑)。
また、自分はその頃からサッカーの戦術に興味があったので、セビージャの全ての試合をノートにまとめていました。
スタメン、ポジション、戦術、マークの付き方、得点時間、選手交代、交代後の戦術の変化など、試合の解説者が言ったことや自分で気づいたこと、面白いと思ったことなどをとにかくノートに書いてまとめていました。
そんな事をやっていた高校生は、恐らく日本で自分くらいですかね(笑)。
サッカーはチーム別というより監督によって戦い方が変わるので、その監督ごとの戦術を深く考えて理解するのを面白く感じていました。
そのように毎回の試合内容をノートにまとめていた事もあり、チームの戦術を考えるサッカー監督やサッカーの指導者になりたいという憧れは高まっていました。
目標の設定
とにかくサッカーが好きだった自分は、将来もサッカーに関わる職に就きたいとは考えていました。
最初は、サッカー解説者やサッカーライターなど。
ですが、サッカー解説者は元日本代表のサッカー選手など、サッカー選手として実績のある方が多いので厳しいのかなぁと思ったり、自分はサッカーのグラウンド(ピッチ)で仕事をしたい気持ちが大きかったので、サッカーの監督を目指すことを決意しました。
私の夢と目標については、こちらの記事でご紹介しています↓
まずは、手当たり次第に、知り合いのサッカーコーチの方々などに相談をしてみました。
日本のサッカーの監督にも、指導者ライセンスがあった事は知っていましたが、一般の人が取れるライセンスには限度があります。
日本のサッカー指導者のライセンスは、上にいけば行く程、元サッカー選手やコネがない人などでないと資格を受講することも出来ないのです。なので、自分が日本でサッカー監督のライセンスを取得することは難しいのです。
そこで考えた事は、自分の好きな「スペインで指導者の勉強をして、スペインのライセンスを取得する」ことです。
自分の憧れでもあって、大好きなスペインで、サッカー監督になりたいと率直に思いました。
スペインのライセンスにもレベルがいくつかありますが、誰でもライセンスを受講でき、テストに合格すれば上のレベルの指導者ライセンスも取れます。
また、日本のライセンスを受講し更新したりするのは数十万円もかかるのに対し、スペインは1レベルにつき十万円ちょっとほどです。
スペインへ行く決断
「スペインで指導者の勉強をして、ライセンスを取って、スペインで監督になりたい」と考えたのは高校3年生になる前でした。
高校3年生になる前というと、どこの学校でも卒業後の進路を決める時期ですね。
中には就職をしようとする子もいましたが、自分の学校のほとんどの生徒が大学に進学します。
やはり自分のこの進路と考えは、日本人にとってはあまり現実的ではありません。
その当時、自分のしていたバイトの店長さんや、周りの大人の人、仲の良かった部活の顧問の先生にも留学をする事について相談をしましたが、否定的な返答が多かった事も覚えています。ほとんどの人がその決断をおすすめはしてくれませんでした。
なので、夢に挑戦せずに大学に進学するか、大学に進学して数年後にスペインに挑戦するか、この夢を諦めるか、、、などと色々考えてはいましたが、なかなか決断は出来ずにいました。
そんな自分がスペインに行く決断をしたのは、高校3年生になってすぐの「ゴールデンウィークの期間中」です。
その日のことは今でもしっかりと覚えています。
その日は自分とは違う高校に通っていた、仲の良い友だち(Tora君)と久しぶりに会い、夜に一緒にラーメンを食べに行きました。
そこではくだらない話も散々しましたが、その後にお互いの夢についての話になりました。
「自分は夢に挑戦したいけれど、日本の大学に行くか迷っている事」を彼に話すと、彼は彼自身の夢について話してくれました。
彼は、
などと彼は話し、その話を聞いていく内に、同い年なのに自分よりもしっかりとした夢を持っており、彼の夢の大きさと、その夢に対する熱意を聞いて自分自身とても刺激に感じました。また、素直に「カッコイイな」と思いました。
そしてその後も話をしていく内に、自分もやってやろうという気持ちに動かせてくれました。
進路を決める時期、夢に向かうかをとても迷っていた時期に久しぶりに彼に会って、彼の気持ちを聞けた事が自分の人生にとってはとても大きかったです。
(現に、彼は数年前に語ったようにアメリカに留学をして、今では世界中の子供たちと共に幸せそうにワークショップをしています。)
その日のラーメン屋の帰り際に、自分がスペインに挑戦をしに行くことを彼に伝え、家に帰った後すぐに自分の両親にその決意を伝えました。
その数ヶ月前に一度だけ両親にスペインに行くことの相談はしていましたが、本格的に相談をするのまたの日が初めてだったので、無事に説得を出来るかは不安でしたが、特に大反対をされる事もなく、意外とすんなり自分の考えを受け入れてくれたのは驚きました。
とりあえず日本の大学には出ておいた方が良いという考えの日本人が多い中、
逆に「1人で海外に行った方が、人としても成長もするから良い」という両親の考えだったようで、そのような考えでいてくれていた事、その日以降から自分の事を一生懸命サポートしてくれたことも含め、両親にはとても感謝をしています。
サッカーの指導者、スペインでの経験
ここまで長くなってしまったので、少し割愛させて頂きつつ、私の自己紹介を続けさせて頂きます。
サッカーの指導者が自分の目標だったので、高校2年生の頃から、地元の小さな小学校のサッカーチームでコーチのお手伝いをさせてもらっていたり、当時入部していた部活のフットサル部にはコーチがいなかったので、プレイヤー兼練習メニューなども考えるちょっとしたコーチとしてやっていたりもしていました。
また、日本にあるサッカースクールなどでの指導者を経験もさせて頂いていました。
そして、高校卒業後スペインのセビージャに行き、自分の夢であったスペインでのサッカー指導者の経験が始まりました。
1シーズン目は、スペインのセビージャで、監督ライセンスの最上級でもあるレベル3を取得している監督の方が率いていた、セビージャのInfantil(U14)のカテゴリーのチームでアシスタントコーチ兼、第二監督兼、チーム管理者として1シーズンの間チームに帯同させ頂きました。
スペインのサッカーリーグのシーズンが休みの夏の期間には、VISAの関係もあり一時日本に帰国をしていましたが、その後もう一度スペインのセビージャに行き、Infantil(U14)のカテゴリーの他のチームを以前と同じ監督の方の元でアシスタントコーチ兼、第二監督兼、チーム管理者として私にとってはスペインでの2シーズン目のリーガを戦いました。
また、並行してスペインでのサッカー監督の資格を取るためにライセンススクールにも通っていたのですが、スペインサッカー監督ライセンス レベル1のテストには全科目合格し、無事にライセンスの取得が出来ました。
スペインのライセンスを取得をした後には、VISAの期限があったので日本に帰国しました。
日本に帰国をしてからはサッカーコーチとして様々なサッカーアカデミーやクラブチームなどで仕事をし、Jクラブでの通訳、分析官を担当しておりました。
分析官に慣れた経緯はこちらで紹介しています↓
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✔︎ブログ— Tetsu / Sevilla (@777sevilla777) 2018年12月17日