日本人が南米のパラグアイでサッカーアナリストとして生きて

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私は、2021年の夏から2022年末まで1年半の期間、

南米のパラグアイという国のサッカー1部リーグのクラブで、アナリストとして仕事をしていた。

アナリストとはコーチングスタッフの一員であり、自チームの分析や対戦相手の分析を主に行っている。

 

海外の1部リーグでプロのアナリストとして仕事をしている日本人は恐らく片手で数えられる程しかいなく、

南米では、私以外にいなかった。

 

アナリストどころか、

まず南米の1部リーグのクラブでスタッフとして働いている日本人がいなかったし、

そもそも南米に住んでいる日本人も少ない。

 

パラグアイでの仕事はとても大変であり、心身共に疲弊していた期間も長かったが、

多くを学び人として成長できたと感じ、素晴らしい充実した時間を過ごせた。

 

その経験や出来事を何度かに分けて綴っていこうと思う。

 

パラグアイリーグに行った経緯

私はパラグアイ1部リーグの、Club Guarani(クルブ グアラニ)というチームに所属していた。

※以下 「Guarani」

 

Guaraniはパラグアイで2番目にできたサッカーチームであり、創設から120年以上も経っているとても歴史あるチームだ。

南米のサッカーの歴史は日本とは比較できないほどに長い。

日本人でいうと元プロサッカー選手の福田健二選手が2004年にGuaraniでプレーをし活躍していたので、クラブに長くいるスタッフの人達は日本人に対していい印象があると私にも話していた。

 

私がそんなパラグアイの伝統的なクラブに加入できたのは、

共に仕事をしていたスペイン人サッカー監督のフェルナンド・フベロ氏から個人的に直接オファーを頂いたからだ。

 

彼がJリーグのジュビロ磐田で監督を務めた2019年に、私は彼と出会い、

最初はスペイン語の通訳として共に仕事をした。

 

そして翌年の2020年から、アナリストとして彼の元で仕事をした。

 

彼がクラブを去った年に、私もクラブを去り、

その約半年後、彼がGuaraniの監督に就任したタイミングで、

彼からアナリストとしてオファーを頂いた。

 

 

基本的に、海外のサッカー監督とコーチ達はCuerpo Tecnico(コーチングスタッフ)と言ってチームで動いて仕事をしている。

監督付きのコーチングスタッフが皆んな一緒にクラブに加入し、一緒に退団し、共に様々なクラブを渡り歩いて行く。

 

私はジュビロ磐田で彼と出会い一緒に仕事をしてから、アナリストとして彼のコーチングスタッフの一員になれた。

 

フェルナンド・フベロ氏は、以前からパラグアイの複数のクラブで監督を経験し、タイトルも複数取っていた。

そんな彼のコーチングスタッフのメンバーは既にほぼ揃っていた。

第二監督や、フィジカルコーチ、アシスタントコーチ、GKコーチなど、

その多くがスペイン人で、何人かのパラグアイ人もいる。

 

だが、ジュビロ磐田で監督に就任した際には、恐らく契約上の問題から、彼のコーチングスタッフの全員はクラブに来れず、

また彼のコーチングスタッフにアナリストは丁度不在だったこともあり、

私は彼のコーチングスタッフの一員になれた。

 

コーチングスタッフは監督と長く共に仕事をしていくので、

サッカーの知識や仕事内容の面で監督の要求に応える仕事をこなし信頼を勝ち取っていく必要性があり、

また日常生活からコーチングスタッフらで過ごす時間も多いので、お互いに普段の生活からストレスのかかる関係性ではなく気の合う性格であることも求められる。

 

私以外の監督やコーチの年齢は皆40代後半なのに対し、

私は1997年生まれで、パラグアイに行った時は23歳だった。

私と監督やコーチ達とはまるで親子ほどの、倍以上の年齢差があり、

それにプラスして、私だけアジア人の日本人というハンデもあった。

 

これだけの相違点がある中でも仲間の一員に入れてくれた事は私にとってとてもありがたい。

 

そして、彼らの多くが単身赴任として別の国に渡って仕事をしているので、

食事などもコーチングスタッフ間でする事も多く、

コーチングスタッフは家族以上の関係性も生まれていた。

コーチングスタッフは互いの信頼関係から成り立っている。

 

監督がクラブに所属しているなら、契約を結び同じ期間の仕事も給料も保証されるが、

監督がどこにも所属していない場合には、お互いの関係や将来の仕事を保証する契約などは基本的にない。

 

私の場合も、パラグアイに行くことは突然オファーを受け、突然決まった。

それは、サッカー監督が突然サッカークラブに就任になるのと同じで、

更にクラブによっては、監督付きのコーチングスタッフの数が制限されている場合もあるからだ。

私がパラグアイに行った時には、コロナで海外の渡航制限などもまだあったので、

海外移住の手続きなども突然急ピッチで用意し、準備でき次第すぐに出国する事になった。

 

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アナリストの仕事内容

私の場合、パラグアイでのアナリストの仕事内容は、日本のJリーグクラブで仕事をしていた時とさほど変わらなかった。

それは、どちらも同じ監督の下でアナリストの仕事をしていたから。

 

アナリストの仕事内容は所属しているクラブや率いている監督によって大きく異なる。

その点では変化がなかったので仕事はやりやすかったが、

特に苦労したのは、初めて見る南米の選手の名前や特徴を覚える事と、パラグアイリーグに慣れる事、働く環境への適応などだった。

 

私は主に対戦相手の分析を担当しており、その大半がチームの分析と選手個人の分析だった。

全く知らないリーグでアナリストの仕事を進めるのは至難の業。

 

例えばJリーグのチームの歴史や、選手の特徴や過去数シーズンの状況などの知識は、

ある程度サッカーが好きな日本人なら誰でも分かるだろう。

だが、私はパラグアイで働くまでパラグアイリーグの事や選手の事を全く知らなかったので、

選手の名前や各チームの状況や各監督の特徴などを一から勉強していく必要性があった。

 

アナリストは言えばチームの情報屋。

チームの誰よりも、対戦相手の事を知っていないといけない。

なのにそのリーグの選手や監督、チームの特徴や最近のチーム状況などを知らないのは致命的。

 

私がチームに加入した時には既にチームはシーズンの真っ只中であり、

時間がとても限られている中で、パラグアイリーグの事を知っていく必要性があった。

それはとにかく大変だった。

 

空いている時間は、パラグアイリーグの試合、過去のデータや戦績、選手個人のプレーなどをひたすら見て知識をつけていた。

また、同じクラブのスタッフや選手と会話をして、現地の人たちしか知らない情報も取り入れるよう心がけていた。

 

特に大変だったのが、チームがCopa Libertadores(コパ リベルタドーレス)の予選でブラジルのチームと対戦する時。

Copa Libertadores(コパ リベルタドーレス)とは、南米のCL。

南米の中で1番強いチームを決める大会。

ブラジルのチームは年間に戦う試合数が多い事や資金面から、特に強いチームは2-3チームができる程の選手層がある。

アナリストからすると、選手層が厚い分だけ分析する選手や試合が増えるので、

リーグ戦と並行してその分析と準備をするのがとても大変だった。

 

Jリーグクラブで働いていた時と良い意味で違った点は、アナリストのチームで仕事を進められたこと。

ジュビロ磐田ではアナリストは私1人で、監督から頼まれた膨大の量の仕事を全て1人でこなしていた。

 

Guaraniでは私以外にも2人のパラグアイ人のアナリストが私をサポートしてくれたので、

役割を多少なりとも分担できていた。

その他にも、パラグアイリーグに慣れていた第二監督も私の仕事をサポートしてくれていたので、

仕事のしやすさとこなせる量に大きな差があった。

 

だが、パラグアイのアナリストへの需要と仕事環境はまだまだ整備されていない。

リーグから提供される映像の見やすさや、スタジアムでアナリストが仕事をする用の席などは、

Jリーグのレベルにはまだまだ到達していない。

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1日のスケジュール

Jリーグの場合だと、基本的にどのチームも監督が好きな時間に練習ができる。

 

だがパラグアイの場合は、練習する時間も季節によって大きく変わっていた。

パラグアイ含め南米の夏はとんでもなく暑い。

午前中から夕方まで、日が出ている時間で40℃を超える日はザラにあり、そんな時間には到底練習はできない。

その為、夏は早朝、朝の5時くらいの日の出と共に練習をしていた。

 

パラグアイだと多くのチームがその時間にトレーニングをしているらしく、

その為生活リズムを変える必要性があった。

 

練習中は基本的に練習の撮影のみが私の仕事だったが、練習に帯同する事はチームに溶け込む為にも重要だった。

 

チームにアジア人は私1人だけであり、それだけでチームで浮きがちになる。

またアナリストの仕事内容はとても地味である為、私が普段どんな仕事をしているか知らないスタッフも多かった。

なので、選手やスタッフと会話してコミュニケーションを取ることは、お互いの信頼関係を生む上でも大切だった。

 

練習が終わった後は、基本的にひたすらアナリストの仕事を進めていた。

自チームのレポートや、対戦相手の試合を振り返り監督から頼まれているレポートをひたすら作っていく。

とても地味な作業ばかりで、時間はいくらあっても足りない仕事ばかり。

 

そして夕方から遅い日だと夜中まで、テクニカルスタッフでのミーティングがほぼ毎日あった。

自チームの状況や、次の日の練習メニュー、次の試合についてなど、コーチングスタッフ全員で話し合う。

毎日があっという間に終わっていた。

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