私は、Jリーグという日本サッカーのプロリーグのトップチームで、通訳と分析官として仕事をしていた。
「分析官 / アナリスト」というテクニカルスタッフ、言わばサッカー指導者だったのだが、私はサッカー選手としての輝かしいキャリアや選手での経験はほとんどない。
サッカー選手としてのキャリアや経験のないサッカー監督や指導者はどうなのか。
選手経験のない世界トップ監督
「サッカー選手としてのキャリアや経験のないサッカー監督や指導者はどうなのか。」
その点に関して言えば、賛否両論だろう。
サッカー選手での経験がない私でも、もちろんあるに越したことはないと思う。
だが、
「選手としてプレーの能力」と、「指導者としての能力」は全くの別ものだ。
では、海外の例を出してみよう。
選手としてのキャリアはないが、優秀な成績を残している監督達だ。
有名な話では、今では世界トップの監督のモウリーニョ監督(現 マンU)。
彼は、選手としてのキャリアはほぼなく、通訳でキャリアをスタートさせ、アシスタントコーチを経て監督となり、欧州大会、各国リーグ戦、各国カップ戦など多くのタイトルを収めている名将だ。
その他にも、サッカー選手としてのキャリアはないが、サッカー監督としてクラブに良い成績をもたらしている、マウリツィオ・サッリ監督(前 ユベントス)、ユリアン・ナーゲルスマン監督(現 RBライプツィヒ)、ウナイ・エメリ監督(現 ビジャレアル)などと数多い。
私が以前共に仕事をしていた、フェルナンド・フベロ監督(前 ジュビロ磐田)は、南米で監督として素晴らし成績を収める前の、プロキャリアのスタートは分析官だった。
分析官とスカウトでの仕事を経て、サッカー監督になったのだ。
ちなみにその前には学校の先生をしていた。
彼は、全てをフラットに見て評価していた。
というのも、J2降格がほぼ現実的になり低迷していたチームを途中から率いたにもかかわらず、当時試合にあまり出場していなかったベテランの選手(八田、藤田)らをスタメンとして出場させたり、全く出番のなかった若手(藤川、鈴木)らをその時々状況に合わせて積極的に起用した。
その結果、チームをシーズン途中から率いたにも関わらず、上向きに戻しJ1残留まであと一歩のところまで運んで行った。
若い年齢だった私を分析官に任命したのも同じだろう。
私は彼との出会いで人生が変わった。
今年はアナリストという立場で、1番長い時間を彼と一緒に過ごした。
彼と直接話し、多くを教わり学び、多くの要求を受け、とても有意義な時間だった。彼と共に仕事が出来たことは自分にとっての誇り。
彼の近くにいたからこそ、彼の偉大さが分かる。 pic.twitter.com/r7d9zk5C7U— Tetsu Kuwahara _ 桑原徹 (@777sevilla777) October 3, 2020
海外では、戦術ブロガーだった人が、プロの分析官になった例もある。
日本でも数年前に話題になっていたためご存知の方も多いと思うが、オーストラリア出身のレネ・マリッチ氏(現 ボルシアMG)だ。
元々、サッカーの戦術ブロガーとして分析記事をブログへ投稿していたところ、トップクラブから注目されその結果プロの分析官になった。
このように、「選手としてプレーの能力」と「指導者としての能力」は別物だ。
選手としての多くの経験があるからと言って、指導者として優れているわけではなく、
選手としての経験がないからと言って、指導者として優れていないわけでもない。
だが、日本では選手としてのキャリアのないサッカー監督はとても少ない。
逆に選手としてのキャリアが長かった人が、その後すぐに監督になる例はとても多い。
それは、本当にその能力がある人間が日本にいないのではなく、その能力のある人間を発掘しない環境だからだ。
また、日本で戦術ブロガーからプロ分析官になった例は、未だ聞いた事がない。
私が知る限りでは、私のみで、他にいない。
もちろん、私は自身のブログで投稿していた分析記事から注目されてプロの分析官になったのではなく、他の要因によって分析官になれた。
なので私は、日本というやり方の中で評価されて分析官になれたわけではない。
これは私個人の主観だが、日本の多くのサッカークラブは、サッカークラブというより会社に近いと感じる。
一般企業の人事採用と同じように、その人の能力をみるよりも高学歴の人を採用しようとするのに近い。
それは、日本のクラブでその都度起きている、監督とヘッドコーチのみ変え、残りのテクニカルスタッフが変わらないという、サッカークラブとしては疑問の残る仕組みと、根本的な問題は同じだとも思う。
サッカークラブは、サッカークラブである。
私がスペインに行ったのも、日本では監督としてトップチームまで辿り着ける事が不可能だと思っていたからだ。
サッカー選手としてのキャリアのない人は、そもそも日本の指導者ライセンスを取得することがほぼ不可能な現実であり、そんな日本で指導者としてのキャリアには限界があると。
私と同じ理由で海外に挑戦をしに行った人を私は多く知っている。
この国のサッカーの発展のためには、能力のある隠れてしまっている人たちをいかに見つけていけるのかが今後重要になるだろう。
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